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「中国残留邦人を知ってください、忘れないでください~敗戦・終戦76年~。」

2021年08月15日

皆さんこんばんは、新宿区議会議員のよだかれんデス。

今日は76回目の敗戦の日(終戦の日)ですね。なんとかこの日までにと時間を見つけて読み進め、無事に先日、山崎豊子さんの「大地の子」全4巻を読破いたしました・・・長かったーーーッ(^^;

皆様ご存じ、NHKで1996年にドラマ化されて大反響となった、中国残留邦人を描いた小説です。当時はなぜかアンテナが立たずドラマは見ておらず、まっさらな状態で向き合うことが出来ました。

実は、私の父は満州生まれで、かろうじて家族皆で日本に引き揚げてくることが出来たのですが、一歩間違えていたら父はこの小説の主人公のように、中国残留孤児となっていたかもしれない身なのです。

そうなっていたら、私は生まれていなかった。

そうした父の背景をはっきりと認識して以来(大学生のころだったと思います)、心のどこかに中国残留邦人のことがずっと心の中にありました。

そんな中、区議会議員になって初めての決算特別委員会に臨んだ際、区の事業に「中国残留邦人支援」があるのを知りました。

新宿区にも30人弱の中国残留邦人がいらっしゃるということでしたので、さっそく次の議会において「中国残留邦人支援について」という質問で取り上げました。

この質問を読んで頂くと、中国残留邦人についてご存じない方もなんとなく基本的なことが分かって頂けると思いますのでシェアいたします。先ずは、こちらお目通し頂けたら幸いです。

令和元年 第4回定例会 ちい声 本会議一般質問

「中国残留邦人支援について」

◎ちい声(よだかれん) 第二次世界大戦末期の1945年8月9日、ソ連軍の侵攻、関東軍の撤退により戦闘に巻き込まれ、避難中の飢餓や疫病等により多くの日本人子女が犠牲となりました。
このような中、親や兄弟姉妹と離別して孤児となり、中国の人々に救われ、中国人養父母に育てられたのが中国残留孤児です。

孤児とは別に、生きるためにやむなく中国人男性と結婚するなどして中国に残ることとなったのが中国残留婦人です。そうした方々の総称として中国残留邦人という言葉が存在します。

本年10月31日現在で6,724人、配偶者や2世3世等家族を含めて2万911人の中国残留邦人が帰国して日本で暮らし、現在でも200人から300人程度の残留孤児であった方が中国で生活していると言われています。残留婦人で、現在も中国で暮らしている方の人数は把握されておりません。

残留というと、自分の意思でとどまったかのような印象を受けますが、残りたくて残ったのではないということを知ってほしいと多くの当事者の方がおっしゃっていることを、ここでお伝えしたいと思います。

敗戦で取り残された子どもたちが、その幼い背に大人たちの罪業を一身に背負わされ、自分が日本人であるとも知らないのに、日本人の蔑称である「リーベングィズ(日本鬼子)」とののしられ、中国内戦から大躍進政策、文化大革命、改革開放路線と、大きく揺れる歴史の荒波の中、筆舌に尽くし難い人生を歩まれました。

1972年に日中国交正常化がなされた後も、救いの手はなかなか差し伸べられず、終戦から36年が過ぎた1981年、ようやく初めての残留孤児訪日調査団が来日することとなりました。

私を含め、一定以上の年代の方であれば、中国に取り残された当時の写真と現在の写真が並べられ、何ページにもわたって紙面を埋め尽くしていた新聞の様子や、日本の家族と対面できた際の感動的な場面を流すテレビのニュース映像などが記憶にあるのではないでしょうか。

しかし、現実は厳しく、日中両国政府による調査で中国残留孤児と認定された2,818人中、半数以上に当たる1,534人は身元が判明せず、今でも厚生労働省ホームページで孤児名鑑として掲載されています。戦後74年が過ぎた今でも肉親探しは続いているのです。

自分が生まれた場所も、生年月日も、名前もわからない。自分がどこの誰だかわからずに生きるということが、一体どれほど苦しいことなのか。

中国には「落葉帰根」という四字熟語があるそうです。どんなに高いところにある樹の葉でも、いずれは地に落ち、根に返る。同じように、人も最後には故郷へ帰るものであるという意味だそうです。

中国の大地に、養父母にどれほど感謝していても、自分は日本人だから、最後には日本へ帰りたい。身元が判明して家族が見つかった方はもちろん、身元が判明しなくても、待っている家族がいなくても日本に帰りたいと願う、その気持ちを思うと、胸がつぶれるような思いがいたします。

ようやく日本に帰国できても、中高年となっていて日本の教育が受けられず、日本語の習得に大変な困難があり、言葉が不自由なため就労も思うようにはいかず、安定した職も得られない方が多かったのです。

また、戦後の高度経済成長の時期には国外にいたため、ほかの日本人とは違い、その経済的恩恵を受けることができませんでした。

このため、懸命な努力をしても老後の準備が十分できず、言葉が不自由なために現地に溶け込めない方々もおられます。御本人だけでなく、一緒に来日した配偶者やお子さんなど、2世、3世で苦労された方も数多くいらっしゃるそうです。

そこで伺います。
1、現在、新宿区には、中国残留邦人の方はどのぐらいの数の方が住んでいらっしゃるのでしょうか。

2、中国残留邦人の中には、中国では「日本人」とさげすまれ、日本では「中国人は中国へ帰れ」と言われ、祖国に二度捨てられたと感じている方も多いとお聞きします。苦労の連続であった皆さんに、ここ新宿で幸せに暮らしていただきたいと強く思います。新宿区にお住まいの中国残留邦人の皆さんは、十分な経済的な支援を受けられているのでしょうか。また、生活の中で困り事がないかなどの実態調査は行われているのでしょうか。

3、厚生労働省や東京都のホームページによれば、中国残留邦人と、その配偶者及び同伴帰国した2世、3世の方々が地域社会でいきいきと暮らすことができるよう、さまざまな支援事業が実施されており、詳しくは市区町村窓口に御確認くださいと記載があります。しかし、新宿区のホームページでは担当窓口や事業内容を確認することができませんでした。新宿区で行っている中国残留邦人に対する地域生活支援事業の内容や担当窓口について御説明ください。

4、中国残留邦人の皆さんの体験というのは、おのおの事情が異なり、それぞれが非常に貴重な、歴史的・公的な意義を有するものと考えます。厚生労働省が証言映像を公開していたり、国の委託事業である「中国帰国者支援・交流センター」において体験談の聞き書き集を提供していますが、区として、新宿区にお住まいの中国残留邦人の皆さんの体験談を区民にお話しいただいたり、文章を提供していただくといった事業を行ったことはあるのでしょうか。

5、これまでそのような事業を行っていないようであれば、ぜひ体験談を生で聞く、文章で読むという機会を設けていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

中国残留邦人の多くの方がおっしゃるのが、自分たちの存在を知ってもらいたいということです。戦争の犠牲者である自分たちの存在、そして味わった苦しみを若い世代の日本人に知ってもらい、二度とそのような歴史を繰り返さず、平和な未来を生み出してほしいという願いからだと思います。

中国残留邦人の皆さんの高齢化は確実に進み、残された時間はわずかです。一刻も早く平和啓発事業に組み入れていただきたいと思います。区長の考えをお聞かせください。


(こちらの本もかなり参考になります!)

◎区長(吉住健一) 中国残留邦人支援についてのお尋ねです。

初めに、区内の中国残留邦人の方の人数と経済的な支援及び実態調査についてです。
令和元年10月末時点で、区内には23名の中国残留邦人の方が住んでいます。

中国残留邦人に対する支援策については、国の制度改正により、平成20年4月から老齢基礎年金の満額支給に加え、世帯の収入が生活保護の基準を満たさない場合は、生活保護にかわる生活支援として生活支援給付や住宅支援給付などの支援給付を行い、老後の生活の安定を図るための支援を行っています。

また、区内の中国残留邦人の方に対しては、区の職員が定期的な家庭訪問を実施することで実態を把握し、日々の生活での困り事などがあれば、個々の状況を丁寧に伺った上で解決に向けた支援をしています。

次に、区が行っている中国残留邦人の方に対する地域生活支援事業の内容と担当窓口についてです。

区では、福祉部生活福祉課に中国語が話せる相談員を配置し、中国残留邦人の方が地域社会の一員としていきいきと暮らすことができるよう、地域生活支援事業として、地域で日本語を学ぶ場や、地域住民の方々と交流を深められる場の提供といった支援を行っています。

今後も、中国残留邦人の方が引き続き地域において安心した生活が送れるよう、きめ細かな支援をしていきます。

次に、中国残留邦人の皆さんの体験談を区民にお話しいただいたり、文書を提供していただくことについてです。

御指摘の「中国帰国者支援・交流センター」と区との関係では、同センター発行の情報誌「天天好日」が定期的に送付されており、しんじゅく多文化共生プラザで利用者の方にごらんいただいています。

また、平和啓発事業の中で体験談を区民に伝えていく機会として、本年12月7日に開かれる「すいとんの会」において、中国残留邦人の方を講師の一人としてお招きし、戦争に伴う現地での過酷な立場や生活環境、帰国後の大変な苦労などをお話しいただく予定です。この体験談を通じ、平和のとうとさと戦争の悲惨さを次世代に受け継いでいただきたいと考えています。

こうした平和啓発の取り組みとあわせて、今後、しんじゅく多文化共生プラザで実施している国際理解講座等の事業の中で御紹介していくことも検討してまいります。

加害行為も見つめなければ明日はなし

この質問を終えた後、購入したのが「大地の子」全4巻でした。あれから1年8ヶ月、ようやく手に取り、敗戦の日までに読み終えることが出来ました。

何だかんだで、日々読まなければいけない資料や書籍が山積みで、1年8ヶ月もの長い間ついつい後回しにしてしまっていたのですが・・

今夏の五輪騒動がきっかけとなって、8月15日までに何とか読み終えたいという衝動に突き動かされ、せっせせっせと読み進めました。

第二次世界大戦も、メディアと権力者がタッグを組んで国民を先導して突き進められ、
東京20202も、メディアと権力者がタッグを組んで国民を煽って洗脳して、やってはならなかった大会を強行しました。

歴史から何も学ぼうとしない国は、滅びます。このままでは、日本は滅んでしまう。

そんな思いから、山崎豊子さんが8年をかけて1000人以上の残留孤児等に取材し、

「この作品は、多数の関係者を取材し、小説的に構成したもので、登場する人物、関係機関なども、すべて事実に基づいて再構成したフィクションである」

と力強く明記された、ただの小説ではない不朽の名作「大地の子」を、今こそ読まねばと手に取ったというわけです。

開拓団は兵として招集されない約束だったのに男たちを招集し、関東軍は東北の開拓団を捨て駒にし、日本国民がまだ残っているのを分かっていながら、ソ連軍が追って来れないよう橋を爆破して自分たちだけ逃げました。

日本人の女性と子ども、お年寄りを見捨てたのです。

沖縄戦でもそうだったように、軍隊は国民を守りません。彼らが守らなければならないのは国民ではなく、国家なのです。

政府も同様で、戦後中国残留邦人の存在を把握しながら36年間近く黙殺し、その後も十分な支援を積極的に行ってきたとは言えません。

軽んじられているのは中国残留邦人だけでなく、軍人には恩給がありますが一般国民や空襲被害者には何の補償もありません。

平和学習では、原爆や空襲など被害者としての立場のことばかりを教えますし強調されます。悲惨な体験を二度としてはならない、戦争はいけないと。

でも、本当に大切なのは加害の歴史を教えることだと私は思います。

それは自虐史観などではありません。歴史をから学ばないものに明日はありません。

中国や韓国やアジアの人たちに日本人が何をしてきたのか、そして政府や軍部が日本国民に何をしてきたのか。こうした過去と向き合ってこそ、新しい明日へ立ち向かうための地固めができるのではないでしょうか。

そうしてこなかったことが安部歴史改ざん主義政権を生み出し、長期にわたって歴史や事実を捻じ曲げ・命や人権を軽んじる政権運営を行ってきた結果が、障害者虐殺を実行した相模原事件やフェミサイド(性別を理由に女性を標的とする殺人)を企てた小田急線事件、生活保護受給者やホームレスの排除や抹殺まで示唆したDaiGo事件などを引き起こしているのではないでしょうか。

今日は敗戦・終戦の日。
この機会に国民皆で、新しい明日に立ち向かえるよう、加害も含めた歴史と向き合う社会・政権、歴史から学んで正しい選択の出来る社会・政権を生みだそうではありませんか!

私は、燃えています。

 

 

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