皆さんは伝説のショーパブ「六本木金魚」をご存じでしょうか。
オープンから30年、可動式舞台と斬新な演出で日本中、そして世界中からいらっしゃるお客様を驚愕させてきた名店です。
ニューハーフダンサー、男性ダンサー、女性ダンサーの三位一体攻撃で約1時間、ノンストップで踊り続けます。
生き物のように舞台が動き、下から上からもう一つ舞台が下りてきて驚かされ、フライングやベルトコンベア、挙句の果てに雨まで降らせます(゚O゚)
(先日お邪魔した際には、OPが代々受け継がれる狐の嫁入りでした)
90年代には紅白歌合戦にも「金魚ダンサーズ」として出演したりしていました。金魚の舞台に立つニューハーフダンサーは「日本最高峰の舞台に立つニューハーフ」として、日本中どこへ行っても(狭い夜の世界のことですが)尊敬のまなざしで迎えられたものでした。
私も男性ダンサー時代、「いつか僕も金魚の舞台に立ってみたい」「いや、僕なんかじゃ立たせてもらえない」と憧れたりあきらめたり・・・
それがひょんなことから2007年の夏、まだ男性ダンサーだった頃に金魚の舞台に立てることとなりました。
そこでシャイナさんというニューハーフダンサーと出会い、「あなたはゲイじゃない。女性になるために生まれてきたのよ」「人生一度しかないのにいったい何をしているの?」と私を女性へと生まれ変わらせてくれたのでした。
半年間ホルモン療法を受けて、その後お店を1か月休ませていただいて、豊胸手術と性別適合手術を受けました。
それまで男性ダンサーのポッキーとして活動しておりましたが、復帰後はニューハーフダンサー「小笠原 花蓮」として舞台に立たせて頂くようになりました。
豪華な名前!豪華な舞台に負けないよう、母の旧姓を使わせてもらいました。
本当に激しい舞台で、骨折したり腰痛で動けなくなったりと苦しいこともたくさんありましたが、私の人生を大きく変えてくれた大切な場所です。
(六本木香和で一緒だった祭。大成長の素晴らしいパフォーマンスを披露して、拍手喝さいを贈られていて誇らしかったです)
その金魚が、2024年4月いっぱいで閉店します。舞台装置が、メンテナンスをしてももう限界ということだそうです。30年、よく頑張ってくれました‼
ニューハーフという言葉も使われなくなり、LGBTQピープルの昼間社会への進出が進んでいる(まだまだとはいえ)ことも大きくかかわっているかもしれません。
4月10日、金魚の舞台にお礼とお別れを伝えに行ってまいりましたが、ゴンドラ(上下に動くボックスステージ)はなし、フライングもなしというかなり寂しい状況でした。それでもダンサーたちの気迫あふれるパフォーマンスで、十二分に大満足な感動を味わわせて頂きました。
女性への移行期、まだ女性としての自信が持てなくて、メイクを落としてユニセックスな格好に着替えて帰宅していました。そんな私に先輩ニューハーフダンサーがこう言いました。
「花蓮。なぜメイクを落として帰るの?」
「電車でジロジロ見られたり、おかまだって笑われるんです」
そう答えると、彼女はこう続けました。
「笑う人がいても、それはその人の人生の問題。あなたの人生には何の関係もないのよ。堂々とメイクをしたまま帰りなさい」
「それが出来ないなら女性になるなんてやめなさい。これからもっともっと辛いことがたくさん待っているのよ。」
(手前、こちらも六本木香和で一緒だった綾瀬愛ちゃん。もはや動く芸術作品です)
その日から、私はメイクをしたまま、女性として帰宅するようになりました。もう、誰も私のことを笑う人はいませんでした。
このブログを書きながら、久しぶりに思い出したエピソードです。懐かしいな。ケイトさん、お元気ですか?
「六本木金魚」がなかったら、シャイナさんやたくさんの仲間たちに出会わなかったら、私は女性であると気づかずに生きていたかもしれない。
本当の自分の気持ちに気づけなかったり、気づいてもその気持ち通りに生きることが出来なかったら、苦しくて生きていられなかったかも知れない。
(27年前、ギャルソンパブで一緒だった浅倉南ちゃん(金髪の方)がまだ現役!アンビリーバボーーーッ(°д°))
ありがとう、六本木金魚と金魚で出会ったすべての仲間たち。ダンサーだけじゃない、スタッフもお客様もみんなね。
六本木金魚卒業生である誇りを胸に、これからも人生を謳歌して参ります。