「網膜剥離、術後1週間ご報告。」

2024年12月04日

ご無沙汰しております、10日ぶりのブログ更新です。

お伝えしていたように11月20日に網膜剥離が発覚し、25日に入院、26日に手術、30日に退院、その後自宅療養という日々を送っております。

網膜剥離は失明の危険性もあり、手術をしても視力が元には戻らない可能性もあるという眼病です。

自宅近くでの手術を希望したのですが、25区(昭島・西多摩エリア)内にはご紹介いただける網膜剥離手術が出来る医師がいないということで、

自宅からは物凄く遠い新宿ではあるけれど、白内障の手術でお世話になった素晴らしい病院&先生に手術をお願いすることにしました。

自分自身の備忘録として、入院・手術、そしてその後の経過を記しておきたいと思いますが、どなたかのお役に立ったら幸いです。

長い長い文章となりますが、宜しければお読みください。

よだかれん 網膜剥離手術体験談

11月20日(水)
朝から右目の見え方が悪く、左下から中央にかけて徐々に扇状に視野が欠けて来た。昨年白内障の手術で入れたレンズに何かが起きたと判断し、痛みもないのですぐに病院に行かず、予定していた院内集会(勉強会)にリアル参加して普段通りに過ごした。

11月21日(木)
起床すると視野の欠けが広がっていたので、白内障でお世話になったK病院に連絡したところ、最後の通院から3カ月を過ぎると初診扱いになり、紹介状がないと診察は出来ないと知らされる。最寄りの病院で一度診てもらって、必要があれば紹介状を書いて貰ってくださいとのことなので、自宅そばの眼科へ。

眼底検査をした瞬間に網膜剥離と診断され、レンズの問題と思い込んでいたため衝撃を受ける。

紹介状を取得し、直ぐに診て欲しいとK病院に連絡するも、明日以降でないと診られないとのことで、翌日までお預け。

11月22日(金)
視野の欠けがさらに広がっており、朝一でK病院へ。白内障手術の際にお世話になった看護師の皆さんが事情を知り、とても残念がってくれて嬉しかった。

担当のN先生の診断も網膜剥離で間違いないということで、週明けに入院、26日(火)に手術と決定。その日のうちに、手術を受ける患者必須の心電図・レントゲン・血液検査。

11月23(土)・24(日)
予定していた神戸でのシンポジウムをキャンセルさせて頂き、剥離が広がらないよう自宅にて安静に過ごす。

11月25日(月)
午前中に入院。


(病室からの風景。素敵な景色で、ハードな日々を乗り越える勇気が湧いてきた)

夕方N先生の診察。その際、前回聞かされなかったことを聞きショックを受ける。視力が元のように戻ることは難しいということであった。

また、ある程度見えるようになっても、見え方がこれまでと変わってしまい、二重に見えたり歪んで見えたりしてしまう可能性があると。もちろん中には元の視力が回復する人もいるが、いずれにしても半年、一年と長い目で見る必要があるというのだ。

私の理解は、

『術後1週間入院、その間うつ伏せで寝なければならず、起きている間も基本的には下を向いていなければならない。退院後も少なくとも1週間は外出不可で下を向いて過ごさなければならずとても大変ではあるが、その後は通常の生活を送りながら元の視力に向けて回復してゆく』

というものだったので、それは楽観が過ぎる勘違いであったのだ。

術後直ぐには光しか見えず、2週間~ひと月程度でなんとなく見えるようになり、そこから半年~1年かけて視力が落ち着く(回復の限界が分かる)と。

25区に引っ越してきて楽しむようになった車の運転も、当面はできない。もしかしたらそのまま運転はできないかもしれない。

失うものではなく、持っているものに集中し、感謝をすること…頭ではわかっていても、とてもショックだ。

(美しい夜景にも随分励まされた)

11月26日(火)
手術当日は午前中から頭痛があり、それから少し吐き気。体調があまり良くない中、午後3時からの手術を迎えた。手術中に頭痛と吐き気が強まり、2時間少しの手術中本当につらかった。

メス?が動くたびに目の奥にズキンズキンと鈍痛が繰り返され、歯科医院の治療台同様の姿勢だったのであるが、終盤にはその姿勢が耐え難くなり、首の位置を変えてもらったり、足の位置を変えてもらったり。

見かねた看護師さんが足のマッサージをしてくれたりして何とか乗り越えることができた。

手術台から降りて直ぐに吐きそうになって受け皿をもらい、病室までこらえきれずに廊下で吐いてしまった。

部屋に戻ってからもベッドとトイレの往復で吐き続け、目も見えないので手探りで移動して。

もともと麻酔に対して弱く、これまで受けて来たいくつかの大きな手術の後にもこうして吐き気と戦って来たが、今回は勝手が違い、やっとの思いでベッドに戻ってもうつ伏せにならなければならず、それでまた気持ちが悪くなってしまう。

何度往復して吐き続けたことか。朝はなかなかやって来なかった。

11月27日(水)
手術後の夜ご飯は当然食べられなかったわけだが、27日の朝ご飯も吐き気が収まらず食べられず、昼食も食べられなかった。

が、その日の担当看護師さんがとても良い方で(もちろんどの看護師さんも)、汚れているから着替えましょう、お体もお拭きしますとテキパキと介助し、好きな食べ物なら少しは食べられるかも知れないからと、病院内にあるコンビニに買い物に行くこと(サポート制度がある)を提案してくれた。

相方がお見舞いに来て買い物に行ってくれることとなり予約はキャンセルしたが、その心遣いが身に染みた。

カットフルーツと飲むヨーグルトをリクエストしたのだが、看護師さんの言うとおり、体が求めるものであればこれほど辛いときでも口に出来る、そして体も心も元気にしてくれるということを実感した。相方がそばにいてくれる安心感もあって、一気に心身が回復してゆくのを感じた。

12年前、タイでの性別適合手術の際、日本のおかゆが食べたくて泣いたことを思い出した。

夜ご飯は半分以上食べることができて、特にポテトサラダが美味しくてお代わりしたいくらいだった。

吐き続けている頃は、手術をしていない左目を開けようとすると手術をした右目に鈍痛が生じるため、両目ともほとんど開けられなかったのが、そのころには左目はほぼ開けられるようになっていた。

うつぶせ寝は本当に苦しく、時々うつらうつら出来るかなという程度で朝まで過ごす。

11月28日木曜日
吐き気はほぼなくなり、朝食も昼食も完食とはいかないけれどほとんど食べられるようになった。

左目を完全に開けられるようになったので、トイレにスタスタと行けるようになって自分でもびっくりした。温かいタオルセットを用意してもらえて、今日は一人で体を拭けた。ちいさな回復がとても嬉しい。

1週間は洗髪できないと言われていたので、連日通ってくれる相方に『洗い流さないシャンプー』を買ってきてもらった。気持ちいい。

診察時に思いがけず、この先も当面はうつ伏せで寝るのが好ましいが、今日から横向きで寝る時間があっても良いという許可が出てとても嬉しかった。同時に、経過が良好なので土曜日に退院としましょうと相成った。

やったーーーッ!

夜ご飯は完食。

11月29日金曜日
朝ご飯も美味しくいただき、身支度もだいぶ軽やかにできるようになった。

病院内はたくさんの人々が行き交い危ないという配慮から、診察時には大事を取って看護師さんが車いすで連れて行ってくれていたのだが、この日からは自分で歩いて向かうことになった。行きは付き添い有り、帰りは付き添いなし!

ちいさな回復がとても嬉しい。

そしてまた嬉しいことに、思いがけず看護師さんがシャンプーをしてくれることになった。手術後に上向きは厳禁ということで、美容室ほど上向きではない、斜め上向き!に出来るシャンプー台が用意されていた。

シャンプーを担当してくれた看護師さんが恋愛真っ盛りのようで、何年振りか思い出せないほど久しぶりの恋バナを堪能した。

部屋に戻ると、TVで石破首相の所信表明演説が行われていた。

夜ご飯も美味しく食べて入院生活最後の夜を過ごしていたところ、だんだんと右下肢がかゆくなり、乾燥のせいだろうと保湿ローションを塗って床に就いたところ。

真夜中に激烈な痒さに襲われ、搔きむしって目が覚めた。電気をつけて見てみるとブツブツが下肢外側に広がっており、蕁麻疹かと慌ててナースコールを押した。

朝の診察まで我慢できるようにと冷却材を用意してくれて、確かに当てているとかゆみが和らぐものの、ブツブツがお尻上部やひじ周りにも出てきてしまい、ほとんど眠れぬまま朝を迎えた。

11月30日(土)
土曜日は外来診察はお休みで、N先生もお休み。退院前のチェックをしてくれる代わりの眼科医が皮膚も診てくれて、塗り薬も出して貰えた。

塗り薬のおかげで魔法のようにかゆみが消えて・・とはいかなかったが、なんとなくは治まったのと、医師によれば入院のストレスで湿疹が出る患者もおり、そうした場合退院すると治まるようだとのことだったので、気持ち的には落ち着いた。

ブツブツ騒動で退院の喜びを感じるどころではなくなってしまったが、何はともあれ午前中の内に無事に退院した。

右目が全く見えない状態で週末の電車に乗るのはチャレンジングだなと思っていたところ、相方が車で迎えに来てくれて感動した。車で迎えに行きましょうかと申し出てくれていたチームメンバーにも心からの感謝を。


(高飛び込み選手のような格好でお昼寝中の ちび太郎 )

ちび太郎の待つ家に帰宅してホッとしたものの、この日の夜も全身の痒みに悩まされてあまり眠れず。


(術後ずっと自力では右目が開けられなかったが、うっすら目が開いてきた。ねっとりとした目やにがひどく、目をそむけたくなるほど真っ赤。)

12月1日(日)
目やにが減り、目が昨日より少し開いて来た。やや光を感じる程度で何も見えない。

相方の腕にしがみつきながら、リハビリがてら近所のスーパーへ。一人ではとても外出は無理な状態であると実感。

ただ、痛みはほぼ感じず、むしろ肌のかゆみの方が気になるほど。そちらもだいぶ改善された。


(目が少しづつ開いてきて、治癒力に感動)

12月2日(月)
目がまた少し開いて来て、それまで光しか見えなかったところ、ぼんやりと周りの様子が見え始めていることに気がつく。

臨時国会で代表質問が始まった。


(充血も少しづつ改善されてきた)

12月3日(火)
睡眠について言えば、うつ伏せor横向き(私の手術箇所の場合左側のみOK)で寝なければいけないため、うつらうつらとしては目が覚めての繰り返しで、少しづつうつらうつら出来る時間が伸びていたのだが、この日、術後初めて6時間ほど目を覚まさずに眠ることが出来た。

久しぶりの熟睡感に感動。

目の開きもさらに進んだ。

眼球にガスを入れてあり、そのガスが抜けきるまでうつ伏せor横向きで寝なければならないのだが、見え方としてはガス部分が黒い円に見えることが分かった。

最初は眼球いっぱいにガスが入っているため真っ黒で何も見えず、ガスが抜けるにつれてその円が下に移動してゆくようだ。ガスが抜けた部分はすっきりと元のように見えるということはなく、曇りガラス越しに景色を見ている感じ。上手くいけば、時間はかかるけれどだんだんとはっきりと見えてくるということのようだ。

この日、黒円が2/3くらいになり、上1/3が曇りガラス状態。
目やにはほとんど出なくなった。


(日に日に目が開き、目やにが減り、赤みが改善されている)

12月4日(水)
羽村から新宿の病院まで診察へ出かけた。

右目は下半分は黒円、上半分が曇りガラス状態となり、ガスが半分近く抜けてきているとはいえ、公共交通機関での移動はかなり不安だったが、無事に往復できた。

診察によれば回復は順調で、今日から洗髪がOKとのこと。嬉しい!

国会の代表質問では、石破首相・自民党が相も変わらず企業・団体献金を温存しようとしている。


(充血はかなり残っているが、なくなるには2週間~ひと月程度かかるようで、想定内)

 

・・・長い長い文章を読んでくださりありがとうございます‼
引き続き経過を記録し、報告させて頂きますね(*゚▽゚)ノ

この間思ったのが、心身ともに健やかに生きていたいという、当たり前のこと。そしてこの先は、美しい景色だけをこの目に見せてあげたいと、心の底から願っています。

2024.12.04
韓国で戒厳令が解除された夜に。